死にたがり日記

体調/日々の所感/ソシャゲのこととか

蛹スープ

ここが繭かさなぎのなかなら良かったなあと思いながら布団で丸くなっていた。雨、早朝から起きては寝てを繰り返し、それでも三食欠かさず食べたしお風呂も入ってストレッチもした。偉いよと言ってあげたいがどうにも「やっぱりおまえは生き汚いよ」という声が消えない。胃痛が和らいだがずっと頭痛があるのでスマホを長く見ているのが辛い。あと膝に謎の湿疹が出来ていた。薬を塗っても塗っても虫さされのあとのかき壊しが綺麗に治らない。今度は皮膚科か?今年度だけで医療費が大変なことになっている。

蚕の白い繭、モンシロチョウの緑の蛹から出てくる、まだ翅がしわくちゃの成虫のことをよく覚えている。だけどそれよりも、モンシロチョウの蛹(幼虫だったかもしれない)を食い破って出てきたたくさんの寄生虫の幼虫の記憶の方がずっと強い。青臭いキャベツのにおいが充満していて、ちいさくて細かい幼虫たちがうねうね動いているのを見て悲鳴をあげた。いや、呆然と見ていたのか?ことあるごとにそのことを思い出す。ここが繭か蛹の中ならなんだというのだ。繭であるなら熱湯で煮られて中身は捨てられる。蛹というならどろどろに溶けたまま腐るか、ほかの虫の養分になって食い破られる。ああそれとも、わたし自身がなにか他のものを食い破って外に出るのを待っている寄生虫なのか。昼寝は一時間までにしようねという医者の言いつけを破った。夢を見たり、見なかったりした。メダカや小さい文鳥を助けようとして助けられなかった夢だけ覚えている。ちいさな生きものと一緒に暮らすことに対する強い憧れがあるくせに、自分のせいで死なせてしまうことへの恐れのほうがたぶんずっと強いのだ。棚の上に並んだ植物たちに、どうかすくすく育ってねと念を送る。気をつけて土を触ったり葉っぱの様子を観察したり、そういったことをしている。急に涼しくなって驚いたのか、心なしか植物たちの成長がゆっくりになった気がする。こんな湿気ているしなあと思って葉水もしていないが大丈夫かな。先週買った切り花のひまわりはもうそろそろ終わりがけだ。半ば押しつけられる形で買った栄養剤はよく効いたらしい。あ、枯れる間際も綺麗だ、なんて思ってカメラを出し、写真を撮っておいた。

そうやって植物たちに支えられている一方で、こんなの全部全部身勝手だ!と暴れ出したくなる自分もいる。故郷の、人の手なんかたぶんほとんど入っていない、お化けみたいに育った雑草や木たちを思い出す。でも見返してみたひまわりの写真は綺麗で、わたしはこの花瓶がカラになったらまた新しいお花を飾るのだろうな、と思って、悲しいような腹立たしいような、そのくせその時を楽しみにしているような、そんな複雑な気分になる。

こんなふうになるなら感情なんかいらなかった、もっともっと、夕焼けの空の色にも、花や草や木のかたちにも、人間という生きものの歪さにも、全部気づかず、何か大きなものに巻き込まれたまま一生を終えられるようなヒトにしてほしかった。

 

などと言いながら、どうせ明日も冷蔵庫のなかのプリンやお粥を食べてしぶとく生き残るのだ。きっとわたしだってそれなりにわたしのことを愛しているが、何をしていても、いつだってうっすらと嫌い。


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