死にたがり日記

体調/日々の所感/ソシャゲのこととか

AIが描いた絵

AIにお絵描きさせるのが流行っているように思う。アニメっぽい絵柄から美術館に飾られているような荘厳な絵まで、人間が的確な指示さえ出せばなんでも描けるらしい。ほへえ〜と思って私もやろうとしたが、色々と準備がいるらしく(Discordというものから指示を飛ばすらしいが、Discordのことがよく分からない。調べる気力もあまりない)断念した。代わりにツイッターのタグから人々がAIに描かせた絵を眺めていた。みんな、AIのことを褒めていた。また、AIと合作している人もいる。ネット上がちょっとした展覧会のようになっていた。私はその絵に魅了されながらも、どこか恐怖めいたものも感じていた。

話は逸れるが、私は二次創作を嗜んでいて、表現の手段は文章だ。これは文章がいちばん、自分の脳内に近しい何かをスケッチできると考えているからで、しかし実際のところ絵だとか漫画を描ける人に強烈な憧れを抱いている。私の脳内に浮かんでくる「何か」たちはたいてい映像や漫画のコマのような形を取っており、現状、それをわざわざ文章に変換して出力している。脳内をそのまま絵にしてスケッチできたら話は簡単なのだけど。もちろん何回も試みているが、毎回思い通りに描けないことに苛立ち、途中で筆を置いてしまう。向いてないんだろう。

だけど、もしAIが私の脳内をそのまま絵にしてくれるとしたら?「これこれこういう風な感じの絵が見たいんですけど」と言って、本当にその通りのものが出来上がってしまったら?AIにお絵描きをさせている人のなかには、自分の好きなゲームや漫画のイメージ映像を描かせている人もいた。わたしもそれをやりたいなと思って、だけど怖くなってやめた。何かしら自分の中にあるものを形にしたいという欲求と、手っ取り早く「それ」と同じようなものを摂取したいという欲求は、また別のものだと思う。AIにお絵描きをしてもらって、私は一瞬は満足するだろうが、そのあと絶望してしまうだろう。私が何日、何ヶ月、何年もかけて出力するようなものを、2分かそこらで仕上げてしまうあのAIに、嫉妬してしまう気がする。そのうち命令しなくたって私好みの絵が描けるAIが出てくるだろう(もう、いるのかもしれない)。絵だけじゃなくて文章を書くAIもいるだろうし、そうしたら私の「つくりたい」という欲求はどこへ行ってしまうのだろう。いや、AIに混ざって作ればいいじゃん、とも思うが、すべての人の欲求を満たす創作をするようなAIに混じって、いろんな部分が不完全であるヒトがわざわざ自分で創作をするということは、いつか「おかしなこと」として廃れていくのかもしれないではないか。そう考えると、やっぱり怖い。

怖いのはAIに欲求を取られてしまうことばかりではない。たくさんの人に命じられて絵を描いているAIに脳みそのようなものがあるとして(AIについて詳しくないから、その学習能力のようなものについてどう言ったらいいのか分からない)、そこを覗き込んだらあまりの情報量にこちらの脳みそがパンクするのではないか。様々な人の欲望からできた奇妙な世界に、取り込まれてしまうのではないか。SFもまともに読んだこともない一般人のただの想像でしかないが、はじめはヒトのおもちゃのように扱われていたAIがだんだんとヒトを超越しはじめ、やがて制御できない存在になってしまう、そういう可能性を思い描いては、震えてしまう。

AIの描いた絵画の展覧会を眺めた夜、悪夢にうなされながら目覚めた。なんとなくそうなるんじゃないかという気がしていた。同じような理由でボーカロイドが怖い、と言っていた知らない誰かのことを思い出した。

コロナにかかった

題名のとおりである。職場の同じフロアから感染者が出ていたり、出張する人の出張先で感染者が出たりしていていよいよ近づいてきたな……と思っていた矢先、喉が痛くなり声が枯れはじめた。嫌な痛みだなあとコンビニで買ったのど飴を舐めまくっていたところ覚えのある関節痛。あれだ。ワクチンの時の副作用のやつだ。あれよあれよという間に発熱。翌日市のホームページを見ながら片っ端から発熱外来に電話をした。今思えば「軽症者は受診控えて」と言われているなか、たまたま家の近くの病院で診てもらえることになったのは幸運だった。検査の結果は陽性で、その日のうちにAmazonで色々買い物をした。実家からも飲み物など送ってくれるとの連絡。十日間の引きこもり生活が始まった。

笑うしかなかったのが、発熱したのが退職日の前日で、退職日の色々がパーになってしまったことだ。上司も「なぜこんな最後の日に……」と苦笑していた。なお自宅療養の期間が終わったので来週改めて書類など受け取りに行くことになった。とっとと終わらせておさらばしたいような、もうすでに自分の中では終わっているような……不思議な心地である。八年と四ヶ月勤めた。うち二回ほど抑うつ状態がひどくなり休職し、ここ一年は働けてはいたものの、双極性感情障害との診断がおり不眠や突然の希死念慮などに悩まされながらの通勤だった。良くしてくれた人は皆辞めていった。結婚したから、とか、妊娠したから、という人もいれば「こんなしょうもない職場とはおさらばしたるわ!」みたいな人もいた。そのたびにわたしも「たしかにここはしょうもない、辞めよう!」と思っていたのに、結局ずるずる勤め続けて今。せめて不眠くらいはどうにか治してから次の職場を見つけたい。こんなに長く、薬無しで眠れない期間が続くのははじめてだ。

話が逸れたが、療養期間のことだ。はじめのうちは咳がひどく、少し動いただけで息切れもするので不安だったが、処方された薬が良く効いて三日くらい経つと咳はほとんどなくなった。嗅覚障害がすこし(ひどい鼻詰まりというだけだったかもしれない、今も鼻詰まりが残っており匂いについてはちょっと感じにくい)、味覚は無事だった。びっくりしたのが体力の低下で、ごはんを食べたあと消化するのに全体力が注がれるのか毎食後倒れるように眠ってしまっていた。ごはん食べるだけでこんな疲れることある?今まではなかった。

Amazonでパスタなどを買い、実家からゼリーやパックの飲み物が送られてきた。食欲はすぐに回復したのでおかゆなどの出番はなく、ウーバーイーツを置き配設定にして何度か利用した。ネットスーパーというのがあるのもはじめて知った。今度動けなくなった時は利用してみようと思う。

ただ、「思いついてふらっとコンビニでお菓子を買う」みたいなことができないのがかなりのストレスで、甘味やジャンクフードをむしゃむしゃ食べる夢を何度も見た。眠りが浅いのかかなりリアルで、味こそしないものの食感はあった気がする。目が覚めて、そこが部屋のベッドだということが分かると無性に悔しくなり、暴れた。早くアイスが食べたい。

「軽症かつ重症化する懸念のない方なので保健所からの連絡はないかと思います……」との説明を病院から受けていて、不安に思いつつも「まあ保健所の人も忙しいものな……」と納得していたら療養始めと終わりの日の二回、しっかり連絡をくださった。体力が落ちているのでしばらくは気をつけて過ごしてくださいね、とのこと。気をつけます。

祭りと病と退職のこと

商店街を通って帰ろうとすると人でごった返していた。夜店をやっているらしい。ちらほら、浴衣を着た人々も見受けられる。ちいさい扇風機を自分の顔に当てたり、からあげを食べていたり、ビールを飲んでいたりしてとても解放的。わたしは人と人の間を縫うようにして歩きながら、コロナのニュースのことと、医療従事者の方のツイートのことを交互に思い出していた。目の端に、今度は光るジュースを飲んでいる人が映る。LINEニュースで毎日のように見る、コロナウイルスの拡大映像が脳裏をよぎる。目がチカチカ、なんだかフラフラする。途中で商店街を抜けていつものローソンに入った。大盛りトマトガーリックパスタ(ミートボール増量)とサンドイッチを買って帰る。別にそんなにお腹が空いているわけじゃないけど、たくさん食べて気絶するように寝たいのだった。

退職日まで残り二日となった。退職が発表されたときはいろんな人からメールやらLINEやら電話やらをもらい、だけどその三分の二くらいはゴシップ的な興味を満たすためのもの、或いは義務的な連絡だった。ゴシップ的なものを求めている人には、嘘と本当を少しずつ混ぜたものを情報として差し出した。他人からの注目を一年分くらい浴びたせいで体がおかしくなってしまい、ご飯を食べれば動悸、ツイッターを開けば動悸、日課音ゲーをこなしても動悸、といった具合である。まだ、さよならと言いながら配るお菓子を買っていない。お菓子なんか食べたら誰から貰ったなんだったのかなんて忘れ去られてしまうんだから、適当なものでいいのに何故か悩んでしまう。この期に及んで『良く』見られたいのだろうか。いいや、『悪く思われたくない』のだと思う。この前産休に入ったあの子みたいに、この前辞めたあの子みたいに、無難にいなくなりたい。私は元々『無難』側の人間ではなく、この職場で『無難』を叩き込まれた人間なので気をつけなければすぐにボロが出る。去りさえすればどうでもよくなるのだろうが、なんとなく、『変なやつ』として笑い話のネタにされるのは嫌だなあと思う。某店のフィナンシェで良くない?少し安すぎるかな、でもたくさん買わなきゃいけないし…。

辞めてから1ヶ月ほどは休むと決めている。というか、今の状況だと生活もままならないので休まざるを得ないだろう。やりたいことがひとつも浮かばない。ただ、満足するまで眠りたい。病気はちっとも良くならないが、職場から離れればもしかしたら不眠くらいは治ってくれるかもしれない。それとも、どこにも所属していない不安で余計に眠れなくなるのだろうか。この先のことがちっとも分からない。わたしは前に進んでいる?わたしの前に道はちゃんとある?

白々しい

「今回は大きな事件もあって、本当に大変でしたねえ」と医者に言われた。先日の国を揺るがした事件(はっきり書くと色々思い出して動悸がしてくるので、あえてこう書く)以来、すっかり体調が悪くなってしまい、動悸や不安を抑えるためのとんぷくを貰いに言った。その1週間後の診察だった。

わたしの記憶によると、先週滑り込みで予約を取り病院に訪れた時、医者の反応は極めて事務的で、特にいたわりや気遣いの言葉はなかった。ホントウニタイヘンデシタネエ。私は頭の中で繰り返す。マニュアル通りに患者に声を掛けました、というのが見え見えのそれ。タイミングとしては、やや遅い。とっても白々しいなと思いながら適当に相槌を打つ。薬が貰えればそれでいい。それ以上のことを求めるとがっかりしてしまうというのを、4件目のこの病院でようやく悟ったのだった。

 

白々しいという言葉の意味を調べたのはなんでだったか。仕事を辞めますと言った時の、同期たちの反応を想像していた時だったかも。わたしたちは辞めたり、産休に入ったりする『仲間』に対して、お金を出しあって贈り物をする。集まれる人だけでちいさな会議室に集まり、その品物を渡し、みんなで写真を撮ってLINEで(集まらなかった人向けに)報告する。わたしはこの儀式のことが嫌いだ。というか、みんな心のどこかでは面倒だって思ってるに決まってる。言うと悪者になるから言わないだけだ。白々しいという言葉はまさにこの儀式のためにあるのではないかと思うくらい、最中の空気は微妙だ。嘘ばっかり、ぺらっぺらの言葉がその辺に舞って落ちていく。写真を撮り終えれば、みんなそそくさと持ち場へ戻っていく。たいへんあほらしい。

さてその白々しくあほらしい儀式だが、とうとう主役になる日が訪れそうだ。今月末で仕事を辞めるからである。できるだけ白々しさを浴びたくないし、逆に興味を持たれて根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だから、今日まで辞めるということを直接誰にも言っていない(唯一、産休に入った先輩にだけ打ち明けた。新人時代から今までなにかとお世話になっていたため)。人事異動の内示がもう出るそうだから、LINEで挨拶するのもやめた。

この完全に冷めた気持ち、高校の卒業式のときとよく似ている。卒業アルバムの空白のページにメッセージを書き込みあっている人を横目で見ながら、大学の試験のことを考えていた。わたしにはほとんど友だちがいなかったから、その時間は多分ただただ暇だった。もしかするとお情けで誰かがメッセージを書いてくれていたのかもしれないが、きっとそれも、白々しさの塊なんだろう。卒業アルバムをどこへやったかは覚えていない。

待遇面から見ると悪い職場ではなかったが、社会の悪いところをギュッと凝縮したようなところだった。「社会の歯車になんかなりたくない!」と言っていた大学時代のわたしを寄ってたかって丁寧に殺し、解剖して、見事「お茶汲みの女の子」にした。もはや歯車ですらないので、乾いた笑いが漏れる。

いっときあんなに熱心に考えていた退職時のスピーチを考えるエネルギーすらない。ホントウニオセワニナリマシタ、とそれらしく言うイメトレでもするか。

死にたがりの最も死にたがりな部分を医師に見せた。具体的に言うとここ二週間ほどの症状を紙にまとめて全部見てもらった。大変でしたね、そんななかよく頑張って仕事に行きましたねと労われた。なんか、変な感じだった。嬉しいのか腹立たしいのか特に何も感じていないのか分からない。そう、大変なんですよ。どうにかしてください。言う前に薬が増えた。これで規定の量らしい。今回のうつは薬も診断もコロッコロ変わるのでいつも様子見状態な気がする。薬が増えることで朝眠気が残る可能性があると聞いたので早めに飲んで横になっている。こないだ朝ぼーっとしててコンビニでおつりと買ったものを受け取らずに出ていきかけた。怖。明日、起きれなかったら会社を休んでやるくらいの気持ち。気持ちだけだが。

最近すこし気分が上向いても「でもこれ躁かもしれないしな」とちっとも喜べなくなった。なんか突然清々しい感じになる。情緒がガタガタ。怖い。簿記、そろそろ勉強できるか。明日あたり参考書を開いてみたいが、明日も今日と同じコンディションでいられるかは分からない。みんなどうやって生きているんだろうとTwitter検索するとだいたいみんなわたしよりも生きるのがハードそうで、でもわたしより生きてたほうがいいひとばかりだ、そう見える。いき過ぎた自己嫌悪の根底には優生思想があるように思う。自分を間引いていい人間だと規定すること、間引いていい人間とそうでない人間を選り分けていること。結局、ある程度自分にも「生きる」ということを認めながら生きていかないと他人にも自分と同じ仕打ちをしかねないのだ。分かってはいるけど。でもわたし、つまんない人間だ。どこにいたって、何をしてたって、いてもいなくても一緒。こんななら生まれてきたくなかった。誰かこの呪いを解いてくれ。

 

助かりたい

ずっと「助かりたい」と思いながらデスクに座っていた。職場で私はほぼ透明で、電話が鳴れば応対マシンになり、上司に認識されれば印刷機となる。その間の時間は何でもないので、息が詰まるような心地でそこにいる。

薬のことについて調べた。効いていない気がするからだ。「双極性障害うつ状態の薬」としか書いていない。推奨量への移行途中だということは分かった(でもそれは、医師が言っていたことを思い出しただけだ)。

ぐるぐる頭を回るのは身内のことで、身内の一喜一憂を全部自分のせいにしてしまっている。とんだ過大な妄想だ。でも、妄想だと分かっていてもやめられない。怖くてつらくて許してほしくて、どうすれば許してもらえるのか一生懸命考える。そのうちそれが、「許してください」から「助けてください」に変わって、涙が滲む。マスクをつける社会になって良かったと思う。こういう表情の変化が見えにくくなったから、私は会社で泣き放題になった。

吐瀉物代わりにツイッターに苦しい悲しい助けてと吐き出してトイレでうずくまっていたら、誰もいないと勘違いされて電気を消された。今日は二回それがあった。本当にいないのかもしれない。双極性障害の人間はそうでない人間と比べて短命らしい。もう幽霊なのかもしれないと思うとぞっとする。死にたいと連呼していたのにいざ死が目の前に迫ると恐ろしくなる。頭の中、忙しい、とても。

定時を過ぎ、家に逃げ帰ってご飯を食べて布団に潜り込む。洗い物ができたから昨日よりマシだ。部屋を暗くすると不安とも悲しみとも言い難い嫌な気持ちが塊になって襲ってきて、うめきながら泣いた。誰かに電話をかけようとしたけれど迷惑になるからやめて眠くなるのを待った。うとうとしている時だけが安らかだ。しかしそれはよく聞く「死んだ人の死に際」にとてもよく似ていて、怖い、怖いと思いながら起きて、顔と歯だけ磨き、早めに薬を飲んだ。

もともとフォローしている人間がほとんどいないツイッターのタイムラインは静かだった。わたしの吐瀉物のせいであちこち汚れていた。一緒に楽しむことも一緒に悲しむこともできなくてごめんなさい。わたし、吐いてばかりで、寄り添えなくてごめんなさい。吐瀉物の内容をよく確かめてからプチプチと蟻を潰すように呟きを消していく。詰め込めるだけ食べ物を詰め込んだ胃が痛い。忌々しくも肉体は頑丈に生まれたのでこっちの内容物を吐くことは無いだろう。明日も生きなければならないと思うと途方もない気持ちになる。ねえわたしとっくに限界なんじゃなかろうか。「あなたはもう限界なのでしばらくおうちで休むのがいいですよ」って、自分で言えないから誰かに言ってほしくて、それもまた卑怯で、わたしはまたわたしのことを嫌いになる。

会社を休んだところで何も良くならないこと、知っている。会社を辞めれば今の住まいに居られないことも、この先の暮らしがとても難しくなることも知っている。ちゃんとしなきゃ、暮らしができないのよ。ちゃんとしなきゃ。ちゃんとしなきゃで頭が埋め尽くされる。助かりたい。助けてほしい。

一体いつまで

引越しをしてから更新をすっかり止めてしまっていた。本当にいろんなことがあったし、これからいろんなことをしなくちゃいけない、みたいだ。どうしよう、そのための気力がいまほとんどない。人に死ぬな死ぬなと言っておきながら、自分はいつ死のうかな、みたいな気持ちでいる。もちろん生きるのに前向きな日もあるけれど、頭のなかをちらつく死の影は前よりも濃い。

相変わらず薬がないと夜は眠れない。医師の見立てでは双極性障害かもしれないとのことだった。わたし自身も前々から、妙に調子の良い日と妙に調子の悪い日があるな、と思うことがあったので、その診断には納得した。しかし病名が告げられると、急にそれが重みを持って自分にのしかかる。双極性障害。躁うつ。II型。多分だけど治らないんだろうな。一生抱えていく病の名前を知ったのかもしれない。先週。ショックなんだろうか。なんだろう、これ。分からない。とりあえず医療費がかさむのが嫌だ。まじめにつけ始めた家計簿によると、家計を圧迫しているのは家賃と医療費。いくら食べたいものを我慢してもこれらの出費には到底おいつかず、なんだかバカみたいで、最近はお菓子をたくさん買っては食べている。一気に腹が餅みたいになってきた。いっときはあんなに痩せていたのに。

 

死ななければならない、から、死にたい、に気持ちが変わってきたように思う。うるさい好きなように生きるんだといろんな人に宣言していった結果(今思えばそれが躁状態だったんだろう、なにが「これが自分の輪郭」だ、くだらなさすぎて笑える)味方がひとりもいなくなり、国は相変わらずクソ、ぜんぶ、ぜんぶに心身をボコスカ殴られ壊されて、あ、これ、死んだ方が楽なのかもな、と思い始めた。そこそこ高さのある部屋のベランダから身を乗り出してみたり、スピードを出して走る車を凝視したりする。結局足も体もすくんでしまい行動に移すことができないのは幸か不幸か。葬式くらいは差別されずにしてもらえるだろうと思ったが、葬式の場でさえも差別されうるのだ(または、そういう人がいるのだ)と思うと、死んでも地獄なのかよと絶望する。べつに望んで生まれたわけでもないのにひどい仕打ちだ。なら生きるか。生きるしかないのか。そもそも遺影にするような写真がないし、数年前のちょっと可愛らしく人間に擬態していた頃の写真なんか持ち出された日には化けて出てきてしまいそうだ。そんなんじゃない。全然そんなんじゃないのに。人生楽しいことと苦しいことを天秤にかけたら絶対後者の方が多いのだから、たまたま笑顔だった写真を遺影なんかにして、この子はこんなに楽しく生きていたのに……どうして……?みたいな悲劇の主人公にしないでくれ。どうして……?じゃないんだわ。世界中がわたしを殺そうとしているように感じる。近しい人でさえも。味方だよ、というその言葉でさえも、信じたいのに信じられなくて、悲しくて、もう疲れた。