死にたがり日記

体調/日々の所感/ソシャゲのこととか

助かりたい

ずっと「助かりたい」と思いながらデスクに座っていた。職場で私はほぼ透明で、電話が鳴れば応対マシンになり、上司に認識されれば印刷機となる。その間の時間は何でもないので、息が詰まるような心地でそこにいる。

薬のことについて調べた。効いていない気がするからだ。「双極性障害うつ状態の薬」としか書いていない。推奨量への移行途中だということは分かった(でもそれは、医師が言っていたことを思い出しただけだ)。

ぐるぐる頭を回るのは身内のことで、身内の一喜一憂を全部自分のせいにしてしまっている。とんだ過大な妄想だ。でも、妄想だと分かっていてもやめられない。怖くてつらくて許してほしくて、どうすれば許してもらえるのか一生懸命考える。そのうちそれが、「許してください」から「助けてください」に変わって、涙が滲む。マスクをつける社会になって良かったと思う。こういう表情の変化が見えにくくなったから、私は会社で泣き放題になった。

吐瀉物代わりにツイッターに苦しい悲しい助けてと吐き出してトイレでうずくまっていたら、誰もいないと勘違いされて電気を消された。今日は二回それがあった。本当にいないのかもしれない。双極性障害の人間はそうでない人間と比べて短命らしい。もう幽霊なのかもしれないと思うとぞっとする。死にたいと連呼していたのにいざ死が目の前に迫ると恐ろしくなる。頭の中、忙しい、とても。

定時を過ぎ、家に逃げ帰ってご飯を食べて布団に潜り込む。洗い物ができたから昨日よりマシだ。部屋を暗くすると不安とも悲しみとも言い難い嫌な気持ちが塊になって襲ってきて、うめきながら泣いた。誰かに電話をかけようとしたけれど迷惑になるからやめて眠くなるのを待った。うとうとしている時だけが安らかだ。しかしそれはよく聞く「死んだ人の死に際」にとてもよく似ていて、怖い、怖いと思いながら起きて、顔と歯だけ磨き、早めに薬を飲んだ。

もともとフォローしている人間がほとんどいないツイッターのタイムラインは静かだった。わたしの吐瀉物のせいであちこち汚れていた。一緒に楽しむことも一緒に悲しむこともできなくてごめんなさい。わたし、吐いてばかりで、寄り添えなくてごめんなさい。吐瀉物の内容をよく確かめてからプチプチと蟻を潰すように呟きを消していく。詰め込めるだけ食べ物を詰め込んだ胃が痛い。忌々しくも肉体は頑丈に生まれたのでこっちの内容物を吐くことは無いだろう。明日も生きなければならないと思うと途方もない気持ちになる。ねえわたしとっくに限界なんじゃなかろうか。「あなたはもう限界なのでしばらくおうちで休むのがいいですよ」って、自分で言えないから誰かに言ってほしくて、それもまた卑怯で、わたしはまたわたしのことを嫌いになる。

会社を休んだところで何も良くならないこと、知っている。会社を辞めれば今の住まいに居られないことも、この先の暮らしがとても難しくなることも知っている。ちゃんとしなきゃ、暮らしができないのよ。ちゃんとしなきゃ。ちゃんとしなきゃで頭が埋め尽くされる。助かりたい。助けてほしい。