死にたがり日記

体調/日々の所感/ソシャゲのこととか

一体いつまで

引越しをしてから更新をすっかり止めてしまっていた。本当にいろんなことがあったし、これからいろんなことをしなくちゃいけない、みたいだ。どうしよう、そのための気力がいまほとんどない。人に死ぬな死ぬなと言っておきながら、自分はいつ死のうかな、みたいな気持ちでいる。もちろん生きるのに前向きな日もあるけれど、頭のなかをちらつく死の影は前よりも濃い。

相変わらず薬がないと夜は眠れない。医師の見立てでは双極性障害かもしれないとのことだった。わたし自身も前々から、妙に調子の良い日と妙に調子の悪い日があるな、と思うことがあったので、その診断には納得した。しかし病名が告げられると、急にそれが重みを持って自分にのしかかる。双極性障害。躁うつ。II型。多分だけど治らないんだろうな。一生抱えていく病の名前を知ったのかもしれない。先週。ショックなんだろうか。なんだろう、これ。分からない。とりあえず医療費がかさむのが嫌だ。まじめにつけ始めた家計簿によると、家計を圧迫しているのは家賃と医療費。いくら食べたいものを我慢してもこれらの出費には到底おいつかず、なんだかバカみたいで、最近はお菓子をたくさん買っては食べている。一気に腹が餅みたいになってきた。いっときはあんなに痩せていたのに。

 

死ななければならない、から、死にたい、に気持ちが変わってきたように思う。うるさい好きなように生きるんだといろんな人に宣言していった結果(今思えばそれが躁状態だったんだろう、なにが「これが自分の輪郭」だ、くだらなさすぎて笑える)味方がひとりもいなくなり、国は相変わらずクソ、ぜんぶ、ぜんぶに心身をボコスカ殴られ壊されて、あ、これ、死んだ方が楽なのかもな、と思い始めた。そこそこ高さのある部屋のベランダから身を乗り出してみたり、スピードを出して走る車を凝視したりする。結局足も体もすくんでしまい行動に移すことができないのは幸か不幸か。葬式くらいは差別されずにしてもらえるだろうと思ったが、葬式の場でさえも差別されうるのだ(または、そういう人がいるのだ)と思うと、死んでも地獄なのかよと絶望する。べつに望んで生まれたわけでもないのにひどい仕打ちだ。なら生きるか。生きるしかないのか。そもそも遺影にするような写真がないし、数年前のちょっと可愛らしく人間に擬態していた頃の写真なんか持ち出された日には化けて出てきてしまいそうだ。そんなんじゃない。全然そんなんじゃないのに。人生楽しいことと苦しいことを天秤にかけたら絶対後者の方が多いのだから、たまたま笑顔だった写真を遺影なんかにして、この子はこんなに楽しく生きていたのに……どうして……?みたいな悲劇の主人公にしないでくれ。どうして……?じゃないんだわ。世界中がわたしを殺そうとしているように感じる。近しい人でさえも。味方だよ、というその言葉でさえも、信じたいのに信じられなくて、悲しくて、もう疲れた。