死にたがり日記

体調/日々の所感/ソシャゲのこととか

さよなら夏、蝉、ひまわり

今日は信号を全部守った。いい子になりたかった。いい子になりたいのは、いい子だねと褒めてほしかったのが始まりだったような気がするが、今はただ、そうすることで存在を許してもらいたいからだと思う。誰かに許してほしい、とずっと思っているが、わたしが誰もを許さないように誰もわたしを許さない。だから許してとは言わないようにしてるのだけど、時折、知人の顔を思い出してはごめんなさい、と心のなかで呟いている。ケースを忘れ鞄の中につっこんだままにしていたイヤホンは電源が切れたのか、ただの耳栓と化していて、わたしは事務所を出てもそれを耳にはつけなかった。ざあーっという空気の音がする。それだけで街はうるさい。

新しいレインブーツをおろしたが、帰り道は晴れ間が覗いていた。八月の半ばだっていうのにカーディガンを羽織らないと肌寒い。まっすぐ帰りたくなくて、わざとまわり道をして帰った。人は少なかった。

 

昨日何も買えなかったお花屋さんで、「さよならひまわりフェア」というのをやっているのを見かけた。いろんな種類のひまわりが、一週間前と変わらず咲き誇っていた。でも、さよならなんだ。気づけば蝉もいなくなっていて(この長雨のせいなのだろうけれど)、わたしがぼうっと部屋で眠ったり事務所で座って定時を待っているうちに夏が死ぬ。なんとなくそうしないといけない気持ちになって、三種類のひまわりが束ねてあるブーケを買った。ゴッホのひまわりがいるのが嬉しかった。でも、手に取るのがわたしでごめんね。きっと違う人と、さよならしたかったでしょう。花の気持ちを勝手に決めつけて、使い古された陳腐なセンチメンタル。ボロ雑巾みたいなわたしはきっと詩人にはなれない。

 

いい子にもなれなければ詩人にもなれなければ人間社会の歯車にもなりきれない。この際もうなんでもいいから、わたし以外の何かになりたいと強く思うが寝ても覚めてもわたしはわたしだ。通販サイトで貯まったポイントを寄付に回しながら、例えば献血で提供した血だとか寄付をしたお金だとかは、適切なところへ預ければわたしものでもちゃんと人の役に立つのだ、と思ってすこしほっとした。献血にまた行きたいな。たくさん薬を飲んでいるし、最近食べる量を減らしているのでできるかどうかは調べないといけないけれど。

 

雨が降るとずっと物悲しいし、めまいでふわふわしてまっすぐ立っていられない、頭もずっと痛くて眠いので、良くない、やだなあと思う。職場の人たちはコロナにかなり楽観的で、何も策を講じている気配がない。わたしももう毎日満員電車に乗るので麻痺してしまっているわけだけれど(今日もお花屋さんに行ったわけだし)。職場のデスクでパソコンの画面を見ていると、ふいにいろんなことがどうなるんだろう、と不安で潰れそうになることがある。それで、わたしなんかよりよほど大変な人たちのことを思い、やっぱりわたしはズルしてる、とか、生きてていいのかな、みたいなことを思っては、かかってくる電話をとって仕事をする。思っているより疲れていて、元気がないのかもしれない。

写真は、懲りずに撮ったひまわりです。

 

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