死にたがり日記

体調/日々の所感/ソシャゲのこととか

剪定

栄養栄養って思ってたけど今日ぷつんと糸が切れて「食べたくないんだからもう食べなくていいじゃん、もし倒れたら会社行かなくていいし」になってしまった。マジで胃に何か問題があるのか日照時間の減少による抑うつなのかわからない。どうでもいいがウィダーって、もうウィダーって名前じゃないんだって今日はじめて知った。一日一個を目安に召し上がれと書いてあるのを思い切り無視した。こんなペースで痩せていったことなどなかった!と思い不安になったがなんか前も胃痛でなにも食べられなくなったこと自体はあったなとすぐ思い出す。どうしてたんだろう。根性で飯を食べてたんだろうか。これが二十代と三十代の肉体の差なのだろうか、などと、三十になって半月ほどしか経っていないくせに大人ぶる。そういえば白髪もやたら増えた。鏡を見てるときらっと光って、かき分けてみるとたくさん見つかる。ストレス!!ストレスですよこれは!!!いやなんかパーマとかやたら当てたい時期あったから、パーマとカラーを繰り返して痛んだんだと思う。髪も皮膚?だと思うし、わたしは皮膚が弱いし。

いまひそかに胃カメラの病院を探している。引っ越しとかぶると面倒だし、薬あるし、行くのは引っ越し後にしようかな…できたらなんかこう寝てる間にやってくれるとこがいいな…あるんだよねそういうのが…知らないけど…いやそもそもやりたくはないんだけどな…穴という穴に何かを突っ込まれたくないので歯医者も耳鼻科も婦人科も全部嫌いだ。

 

帰ってきたら手洗いうがいをして食前の薬を飲んでから植物たちの状態チェックをするのだがミントが育ってきて嬉しい。恐る恐る摘芯してからわき芽が突然育ち始めて面白い。いま育てているのはかつて花屋で買った鉢植えのうち、生き残りの一本なのだが、地下茎とかってどうやって育つんだろう。この一本がなんか増えたりとかするんだろうか。我が家にはミントを含め五つの鉢植えがあるが、みんな元気で日に日に大きくなっていく。棚の上がちょっとした森のようだ。緑と触れ合っていると落ち着く。この子たちはとてもたくましい。余計な枝葉を切るように、わたしもこれから余計なものを全部切り捨てられたら楽なのに、と思う。

 

最近最果タヒさんのエッセイを読んで、「こんなに何を言っているのかわからないけどわかる…わかるけどわからないエッセイは初めてだ…」みたいな気持ちになった。タヒさんの詩が好きで詩集をいくつか持っていて、その延長線上で買っていたエッセイを積んでいたのであった。ツイッターでも呟いたが本当に、独自の言語体系のもとに生きているひとなのだと思う。なのに不意にガラスの破片のように心に突き刺さったりもするから不思議だ。才能、わたしは才能という言葉が好きじゃないが、でも才能なんだろうなあ、いいなあ、と思う。わたしにはそれがなくて、一生「いいなあ」と思う側の人間で、いつも直視しないようにしているけど、ふと気づくと全身が黒いヘドロみたいなものでどろどろに汚れている。何に触れてもそう、大好きなものはいつだってわたしの生み出せないものだから、いつもすこしだけ嫌い。元気じゃないと、うまく触れられないこともある。じゃあ自分の生み出すものを愛せよという話だが、それはふつうに嫌い。厄介だな。厄介だ。わたしにも、何か与えてほしかっただなんて言ったらバチが当たるかもしれないけど(安全に生きてるだけで贅沢すぎるくらいの世の中だ)、本当に、なんにもないから、なんにもないってバレるのが怖くて、逃げ続けている気がする。何かから。ずっと。この世も怖いが、振ったら音がするくらい中身のない自分がいちばん怖い。生きるのってどうしてこんなに。